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釧路地方裁判所 昭和38年(行)1号 判決

原告 小川三郎

被告 釧路市長

主文

原告の訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告は、「被告が原告に対し昭和三七年一一月一四日付でした公営住宅の割増使用料賦課処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、「原告は、釧路市の公営住宅に入居している者であるが、被告は、原告に対し、昭和三七年一一月一四日付で右住宅の割増使用料月額一二〇〇円を賦課した。しかし、公営住宅の利用関係は、基本的に民法上の賃貸借関係であり、公営住宅法は、特別法として、住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸するという目的から、種種の特則を設けているものである。従つて、民法、借家法によつて入居者に与えられた諸利益を剥奪するような規定を設けることは、社会福祉立法としての公営住宅法にとつて許されないことであり、このような規定は、当然無効である。ところで、公営住宅法第二一条の二は、収入超過者に対して割増賃料を徴収する権限すなわち家賃を増額する権限を、事業主体に与えているが、これは、賃借人の収入の増減を家賃増額請求権の発生事由とはしていない借家法第七条に比し、賃借人にとつて不利な規定であるから無効である。従つて、同条に基いてした本件賦課処分は違法である。

また、被告は、一方的に釧路市税務課備え付けの市税台帳を閲覧して原告の収入を調査したうえ本件処分をした。しかし、右市税台帳の閲覧行為は、秘密漏洩を禁止している地方税法第二二条に違反する。従つて、右違法な調査行為に基く本件処分もまた違法である。よつて右処分の取消を求める。」と述べ、被告の主張に対し、「原告の所得および従前の家賃が被告主張のとおりであることは認める、右所得を前提とする本件割増使用料の算出方法および公営住宅法第二一条の二のその余の要件事実の存在については争わない。」と述べた。

被告は、請求棄却の判決を求め、請求原因に対し、「被告が原告に対し本件割増使用料を賦課したことは認める。原告が入居している住宅は、第一種公営住宅であるところ、公営住宅法施行令第一条第三号に定める原告の収入月額が六七二一七円で同施行令第六条の二に定める収入基準を超えたので、同法第二一条の二に基き、従前の家賃三〇〇〇円の四割、一二〇〇円を割増使用料と決定した。

公営住宅法第二一条の二は、公営住宅が低額所得者を対象として設置され低廉な使用料で利用させようとするものであつて、収入が増加して低額所得者ではなくなつた入居者にまで、低廉な使用料で入居させることは不当であるから、その者から割増使用料を徴収しようとするものであつて、無効となるいわれはない。

被告が原告の市税関係書類を閲覧したことは認める。しかし、これは、公営住宅法第二三条の二によつて許容されているのであつて、前記地方税法に違反するものではない。」と述べた。

理由

一、原告の本件訴は、公営住宅法第二一条の二に基く「割増賃料」の賦課行為が行政処分であることを前提とする抗告訴訟である。そこで、まず、これが抗告訴訟の対象となる行政処分であるかどうかについて判断する。

まず結論を示すと、同条に基く「割増賃料の懲収」は、借家法第七条による家賃増額請求と性質を同じくする私法上の行為であつて、公権力の発動としての行政処分ではない。その理由は次のとおりである。

同条が、一般の賃貸借関係においては家賃決定の事情とはなりえない賃借人の収入の変動を原因として「割増賃料の徴収」すなわち家賃の変更権を認めていることおよび「事業主体は、……割増賃料を徴収することができる。」という規定の文言から、又同条に基く釧路市公営住宅管理条例第一五条には入居者に収入報告義務を課し、収入基準を超えることが判明したときは収入基準超過決定を行い、右決定の通知を受けた者が右決定に異議あるとき又は収入が収入基準を超えなくなつたとき、若くは収入基準超過額の変動があつたときは意見を述べることができ、市長は右意見内容を審査し必要を認めるときは決定の更正をする旨の収入に関する決定の手続を規定し、同条例施行規則第二〇条には収入基準超過決定通知書を受けた入居者で異議の申立をしようとする者は、決定通知を受けた日から一五日以内に収入基準超過決定に対する異議申立書に当該事実を証する書類を添付して申立てるものとし、又その収入が収入基準を超えなくなつたとき若くは収入基準額の変動があつたときは収入基準超過決定更正申立書によりその旨を申立て得ることとし、更にこの申立に対しては申立の日から一ケ月以内に、収入基準超過決定通知書又は収入基準超過決定更正通知書又は更正申立却下通知書により通知する旨を定めることからすれば、一見、借家法の家賃変更権とは異なる公法上の権限を、行政主体としての事業主体に与えているようにみえる。しかし、

(一)  公営住宅法は、家賃及び敷金の変更、入居資格、入居者選考、収入超過者に対する措置などに関し種々の特則を設けていて、その使用関係が公営住宅の福祉国家理念に基く福祉行政の一環として住宅を必要とする国民に低廉な住宅を供給しようとする公営住宅の目的からする使用関係の側面を規定していることは否定できないが、公営住宅の利用関係の性質は他人の住宅の使用関係であり、本質的には民法上の賃貸借関係であると解するのが相当であり、従つてその使用の対価を使用料と云う表現を用いてもそれは公法上の営造物使用料でなく賃貸借契約上の賃料に過ぎない。

このような貸主、借主という対等な法律関係のなかにあつて、「割増賃料の徴収」は後記の如く家賃の変更と解せられ、それについて特別に権力関係の介在を認めようと考える必要は見出すことができない。

(二)  借家法第七条およびその特則として公営住宅の家賃変更権を規定している公営住宅法第一三条は、家賃決定後の事情変更に伴い家賃を調整しようとするものであるが、いずれも、賃借人の収入の変動を家賃変更の原因としていない。しかし、借家法にあつては、家賃決定の要因は、物価、建物の価値、需給関係などであつて、賃借人の収入は家賃の決定に無関係な事情であるから、収入の変動を考慮しないのは当然のことであり、後者において、これを考慮しないのは、それが個人的入居者の家賃の変更というよりは、入居者一般に対する画一的変更に関するものだからである。

他方、公営住宅法第二一条の二は、個別的具体的な利用関係について、賃借人の収入が基準を超えた場合に家賃を変更する権利を事業主体に与えているのであるが、公営住宅法は、住宅に困窮する低額所得者に対し低廉な家賃で住宅を提供するという制度目的から、まず入居資格を低額所得者に制限し、家賃決定に関する契約自由を否定してこれを法定しているのであり、この意味において、賃借人の収入は家賃決定の基礎となつているのであるから、同条による変更権が賃借人の収入の変動を原因とするものであるとしても、その性質、構造は、家賃決定の基礎となつた事情の変動を原因とする借家法上の家賃変更権のそれと異なるものではない。

(三)  公営住宅法第二一条の二の立法趣旨は、入居資格者たる低額所得者でなくなつた者にまでなお低廉な家賃で入居させておくことは、本来の入居資格者の犠牲において不当に優遇することとなり、制度の目的からいつて不合理であるから、その家賃を増額して一般の家賃額に近づけ、この不合理を是正しようとするにあるが、この趣旨は、私法上の形成権を認めるだけで充分達成できるのであり、公権力の行使を必要とする理由は見当たらない。

結局前記公営住宅法及び市条例の文言表現は、営造物である公営住宅の使用関係の側面に着目したため、このような表現をとつたまでであつて、そこには公法関係の存在を認める余地はなく、前記条例の詳細な規定も公営住宅法第二一条の二の運営について、公正を期し、入居者に徒らに不安を与えないよう特別の配慮を加え附合契約の内容としたものに過ぎないものであつて割増使用料の賦課は、行政権の発動ではなく家賃変更権の行使、即ち私法上の形成権の行使に外ならない。

二、以上の理由によれば争訟の目的は存在しないから本件訴は不適法であり、却下すべきものである。尚原告の本件訴は割増使用料賦課処分が行政行為としての外観上の表象を具えるとして、その不存在を主張して無効確認を求める意味での取消訴訟とも見られるが、原告に於て現在の賃料の確定を求める訴が提起できる以上原告適格を有しないことは明かである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松浦豊久 友納治夫 鈴木悦郎)

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